はだノート

自己満です

蕎麦

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最悪な二日酔いの朝。鈍重な吐き気。

こういう時、無性にこってりしたラーメンが食べたくなる...が、その欲求にあえて背を向ける。時代は蕎麦。体に配慮。常連しか来ないような、町にひっそりと佇む蕎麦屋に、何食わぬ顔で入店。

映らないテレビ、昼間から瓶ビールを机に並べる老夫婦、カツ丼の匂い。

年月を経てそこに根付いた文明が、顔を覗かせる。

時間、喧騒、焦燥、虚栄。我々を苦しめるあらゆるものから、切り離された場所。どこよりも平凡な異世界


この空間が、たまらなく好き。


「はい、もりそば。」

腰の曲がった店員さんが、机に蕎麦を置く。

蕎麦は冷に限る。そののどごしとスッキリとした味わいは、不機嫌な胃を諭すよう。

優しい冷たさが、霧がかった脳内を晴らす。

これほど、食べていて罪悪感のない食べ物は他に存在するだろうか。つるつるといくと、僅か数分で完食。

食べ物は、食べたらなくなる。悲しいが、これは世の定めだ。

そばつゆに蕎麦湯を注ぐ。そして一口。

丁度良く冷えた喉に、沁みる沁みる。


思い出した。俺はかなり蕎麦が好きだ。

小さい頃、家族で長野に行った際食べた信州そばがもたらした衝撃。あれは今でも覚えている。


もし大切な人ができたら、長野に旅行に行って、常連しか来ないような佇まいの蕎麦屋に入って、一緒に信州そばを啜りたい。味はもちろんのこと、その空間がもたらす悠長な幸福に、共に酔いしれたい。昼から瓶ビールも、いいね。きっと、その人のこと、もっと好きになっちゃうだろうな。

 

大きな野望はもちろんあるけど、こういう日常に落ちているほのかな幸せの断片を、わざわざ腰を屈めて拾える人間でありたい。大切な人にも、そうであってほしい。


「ありがとうね、また来てね。」

僕から600円を受け取った年老いた店員さんは、笑顔でそう言った。


お店で人の暖かさに触れたとき、闘争心に火がつく。こっちだって、最高に気持ちいい客になってやろうじゃないか。

退店時、この言葉をどれだけ暖かく言えるか、俺にとっての大事な勝負。

自分に出せる最も清々しい声色で、厨房まで届く声量で、丁寧に放つ。


ごちそうさまでした!


あと、二日酔いって本当に非生産的だ。もう二度と飲み過ぎない。ってあと何度言えば...。

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ドラムと文章はよく似ていると思う。

両者とも、明確にルールが存在する。文法。
ただ闇雲にやれば良いってもんじゃない。文法に基づいてないものはすべからく破綻する。感情を乗せるには確かな皿が必要だ。
だがしかし、「文法を守ること」が目的になると、それは途端に芸術性を失う。
本物は、芸術表現を達成するついでに、何食わぬ顔でさらっと文法をクリアしている。あくまでサブミッションとして。呼吸するかのように、自然に。
これができる人間を、人は天才と呼ぶ。

 

俺はありがたいことに今、人前でドラムを叩ける機会を頂けている。しかもほぼ毎ライブ、ソロを叩かせていただいている。

あの1分間をもっと魅力的なものにするには、どうすればいいのか。常日頃から考えている。

気持ちだけ先行すれば、容易に破綻する。しかしルールを遵守するだけでは、誰にも何も伝わらない。

難しい。本当に難しい!!

文章を書いている今も同じように、その難しさをひしひしと痛感している。「ルールの支配力が強い芸術」は難易度が高い。

 

しかし、先日の埼玉ワンマン公演後。「ドラムソロで泣いたの初めて」といった旨のツイートを見つけた。

そう、これがやりたかった。

と同時に、改めて意を決した。

これをやり続けるんだ。

 

自分はまだ未熟者だ。しかし明確に、会場にいた一人に、自分の表現が届いたのだ。

何度でも言う。ドラムは意思伝達。

この楽器、しばしば芸術性を排除することが美徳だとされるが、そんな面白くない風潮全てぶち壊したい。

自分のドラム、及びあの1分間を、どこまで鋭く磨けるか。人生の命題。

 

天才にはなれずとも、いつか天才と呼ばれる人間になりたい。頑張ります。

 

 

2023

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ある日突然、ずっと通ってた大学近くのそば屋が閉店した。

そのわずか2日前、僕はそこであのキンキンに冷えたざる蕎麦を啜っていた。いつも通り、厳格そうな店主が見習いに喝を飛ばしていた。本当に、いつも通りの光景だった、はず。

 

その1か月後、大好きなバンドが解散を発表した。

 

いつもいた人が、ある日を境に、僕の前からいなくなったりした。

 

そんな2023。

 

始まりは2022からだったが、頻繁に体調を崩すようになった。

大きな病院に、何度も通った。地図無しに院内を歩けるようになってしまった。真っ白な壁を見てると、無性にこわくなった。

 

血をたくさん抜いて、体の隅々を調べても、原因は分からなかった。

特に異常は見つからなかった。

 

急に熱が出たり。訳もなく肩が重かったり、息苦しかったり。それは、楽しみにしていた日さえ、容赦なく。

 

色んなことを試した。だいぶ良くなった。

でもまだ、違和感は残ったまま。

 

通りすがる人、ひいてはアニメや映画の登場人物にさえ、たまに嫉妬してしまう。この人はきっと今、「いつも通り」の体調なんだろうな。

 

毎夜眠る前、静かに祈る。明日、元気でありますように。いや、元気というのは望み過ぎだ。通常でいい。普通でいい。

デフォルトの状態でありますように。

と同時に、腹正しく思う。なんでこんなこと、わざわざ願わなけりゃいけないんだ。

 

そんな2023。

 

世界も、自分も、近い将来さえも、何もかも不安定で、分からないことだらけ。

そんな中、一年を通して分かったことは、

 

ペパリーゼは、そんなに意味がないということ。

意外とハイボールが好きじゃないこと。

天一のこってりラーメンは、めちゃくちゃ美味しいということ。

人間の短所の7割は、転じて武器になり得るということ。

留年は、絶対にするべきではないということ。

思っていることをはっきり言うことが、どれほど大切かということ。

サウナは体に良いということ。

自分は、人との関わりの中に幸福を感じる人間であること。

無理ができてしまう人間であること。

でも背伸びが好きな人間であること。

やはり、不器用な人間であること。

人を笑わせるのが、かなり好きだということ。

多くの人に愛されたいという欲求が、自分の最大の原動力であるということ。

演奏者が、すべからく正当に評価され認知される時代ではないということ。

ドラムだけやって有名になるのは、むずかしいということ。

優劣をつけないという温情は、コンテンツの健やかな発展の妨げになり得るということ。

自分が、意外と負けず嫌いであるということ。

思っていたよりも遥かに、この仕事が好きだということ。

長生きしたいと、結構強く思っていること。

 

80歳までは生きたいって思っている。

でも、こんなこと言うの良くないって分かってるけど、自分、そんなに長生きできない気がする。生命線が、引くくらい短いので。

全然ネガティヴな意味じゃないです。明日が来ないかもしれないと思って日々を過ごすことに意味がある。その上で、結局長生きできたら幸せだ。

 

ぶっちゃけます。2023、結構しんどかった。

良いこともたくさんあった。でもそれ以上に、失敗と挫折と後悔がありすぎた。

世の中、本当に甘くないみたいだ。

ただ、今年で覚悟決めました。

20代で夢全部叶えます。

2024、第一歩。まあ見ててください。

一刻だって、止まってたまるか。

 

 

ドラマに出ました

こんにちは。はだです。

 

先日、ドラマに出演したんですよ。人生初、俳優です。

この僕が、俳優...。これ聞いた友達、絶対何人か笑い転げてたと思います。

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お話をいただいたときは、仰天しました。

元々、一晴くんが主役として起用されるのは決まってて。監督さんとの初回の顔合わせが大阪であって、その日我々は大阪でライブだったので、バンドメンバー一同でご挨拶させていただいたんです。

そこで何かを感じ取っていただいたのか、その約一ヶ月後、監督さんの意向で、秦くんも使ってみたい、と。

そしてなんと、参加が正式に決まったのは撮影のなんと約二週間前。びっくりですね。

急展開すぎて、全然現実だと思えませんでした。

もちろん、生まれてこの方演技なんてしたことありません。

 

今でも忘れないですね。初回台本読み合わせ。

当然ながら周りはプロフェッショナルの俳優さんの方々。ミュージシャンの方もいましたが、バリバリに演技経験有り。一晴くんは元々子役をやっていたので、演技もバッチリ。

 

あれ、僕はーー。

 

これは、何かのドッキリなのかと思いました。あまりに自分だけ棒読みなのに、何事もなかったかのように読み合わせが進行していく。きっと、これは大規模なドッキリで、この後看板を持った人が突撃してくるんだ。そうだ、そうに違いない。

 

エアーでリモコンを取ってテレビをつける演技をしてください、と言われて、パニクって

「コ、ココニ、リモコンガアルゾ!!!!」

と言った瞬間、共演者の方が盛大に吹き出してました。さすがに僕も笑ってしまいました。その後ちょっと涙が込み上げてきました。

 

あ、もちろんドッキリではありませんでした。全てが現実でした。

撮影開始まで、もう日がない。演技できなすぎて、足を引っ張ったら?タコ殴りにされたら?途中で下ろされたら?不安で毎日眠れませんでした。

 

そして、俳優の友達に泣きつきました。頼む、俺に演技を教えてくれと。このままでは、俺は干されてしまうと。

その友達は快諾してくれて、下北沢のカラオケマックでみっちり個人レッスンしてもらいました。

練習が必要そうなシーンを絞ってそこを重点的にやろう、と。友達の指導を受けながら、何度も何度も同じセリフを繰り返しました。

その甲斐あって、2時間を経過する頃には我ながらだいぶ様になっていました。いける、これなら喰らいつけるぞ!みるみる自信が湧いてきました。

次の日、台本変更によりそのシーンは丸々消えました。

僕は、きっと神様に遊ばれているんだ。そう思いました。確かに、いじめ甲斐あるもんな。万年イジられキャラだし。


そしてついに始まった撮影。仙台のライブの次の日、飛行機で一晴くんと共に大阪へ。

約10日間、大阪に滞在しての撮影です。

心の中は、不安が16割で自信が−6割。

機内で台本を何度も読み返して、震えてました。誰か助けてくれ!!と脳内でずっと叫んでました。


しかし。それは全くもって、杞憂でしかありませんでした。


まず、一日目の時点で、良い意味で拍子抜けしてしまいました。

共演者の方々も、監督さんも、スタッフの方々も、誰も彼もが優しくて。

右も左も分からない僕に、気さくに声をかけてくださいました。

そこは今まで経験した現場の中でも一番と言っても過言ではないくらい、暖かな空間でした。


そして監督さん曰く、僕は演技しないで100%素でいてくれればいいと。

それまでは頑張らなきゃ、足を引っ張らないようにしなきゃ...と頭を抱えていましたが、ああ、もう特別な体験だと思って純粋にずっと楽しんでればいいんだ!と、羽が生えたように心が軽くなりました。

 

そこからはもう、本当に本当に毎日楽しくて。カメラ回ってない時、共演者の方々とずっっっと笑ってた気がします。


かつて不安で眠れなかったのが心底アホらしく思えるくらい、本当に一瞬だった。

最後の方は、もはや撮影が終わるのが寂し過ぎて泣きそうでした。この数日間、走馬灯に絶対出てくるだろうなー。


共演者の方々は、尊敬できる方ばかりで。

自分も自分の仕事もっと頑張らなくては、と背筋伸びました。普段やっている仕事は違えど、いつかどこかでまた一緒にやれたらいいなって思います。


そしてクランクアップの時に花束をいただいたのですが、それを見て、つい涙腺が危なくなりました。

ここにきて、勇気を出して足を踏み入れて、本当によかった。

ああ、自分はいつだって人に恵まれるな、と。

不安で不安で仕方なかった初体験がこんなにも輝かしい思い出になったのは、間違いなく周りの人たちのおかげです。

 

そして、そこで一つ決意したことがあって。

自分自身が、そういう暖かい空間を自ら作り出せる人間になろうと。

太陽みたいな人間に、なりたいです。

きっとそれが僕の生涯に課された使命なんだと。22歳ながら、勝手に気付きました。


ドラムも、ドラム以外のことも、色んなことやりたい。光りたい!輝きたい!世の中を、もっと面白くしたい。あたたかくしたい。

そう。僕は将来、逃走中に出る男です。

今回の仕事は、その第一歩。ちなみに今は言えないけど、まだ色々、ありますよ。もっともっと、有名にならなくては!自首して炎上したらごめんなさい。

ライブハウスも、お茶の間も、世間も、人も。いつの日か、何もかもを明るく照らせるような存在になれたら!


ちなみに最終日、共演者の方と飲みに行ったのですが、その日がたまたまハロウィンで。

その方が、「ハロウィンしたい!!」と言い出し、100均の動物のシールを顔に大量に貼られ(本人曰く「仮装」とのこと)、道頓堀に連れ出されました。人やばすぎて死ぬかと思いました。

そしてあろうことか、おびただしい量の動物のシールを顔に貼り付け道頓堀を徘徊する姿をクジラのファンの方に見られました。めちゃくちゃ爆笑してました。本当に、忘れてほしい。

でも楽しかった。いい思い出!!

BUPPPPAN

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ライブ後の物販。

立てる時は毎回立っている。
物販は良い。
色んなお客さんがいる。


「初めて来ました!」

「今月3回目です!」

「友達連れてきました!」

「腕にクジラ描いてきました!」

「スカーフ真似しました!」

「僕も留年しました!」

「バイト辛いです!」

「ドラム始めました!」

「今度サークルでコピバンやります!」

グータッチしてください!」

愉快で楽しい。

 

きっと一人一人に、趣味があって、悩みがあって、幸福があって、好きな食べ物があって、大切な人がいて、人生があって。

では、今目の前にいる人の人生において、僕らのライブは、自分の演奏は、どんな役割を果たしているのだろう。

どんな意味を持つのだろう。

どんな場所なんだろう。

ある人にとっては、寄り道。

ある人にとっては、目的地。

ちょっとした楽しみだったり、何よりの生きがいだったり。

その比重の差はあれど。

確かに僕の仕事が、僕のやっていることが、目の前の人の人生の一部になっている。

物販に立って、皆さんとお話しする度、このことを改めて実感する。

 

人は、生きることに数多くの意味を求める。

何かになりたい。あそこに行ってみたい。あれを食べたい。大きなことから、あまりに小さなことまで。

歩き続けるには、理由が要るから。

人の生には、不要不急の彩りが必要だ。

 

誰かのささやかな意味の一つになれる仕事。

この仕事を、心底誇りに思う。

 

まだまだ大層なこと言えたもんじゃないが、小学生の頃、人に無視されてたりした人間からしたらこれは大きな飛躍だ。

 

エンタメは、人生の灯火のようなもの。

その人、その人生を構成する全てではない。でも、確かにそこに、煌めきを与えるささやかな灯り。暗闇をほのかに照らす、光。

 

そこには、世界を救うほどの劇的な力はない。

しかし、人が明日も生きてみようと思えるくらいの感動は、生み出せる。

 

医者じゃないけど、この仕事には人一人の命を救えるくらいのポテンシャルがある、と思う。

 

ドラムを叩いてるとき。物販でお客さんと話してるとき。祈りを込める。

この時間が、誰かの生を彩りますように。

 

そしてまた、自分も彩りをいただいている側であって。

観に来てくださるお客さんがいるから、僕の仕事に、人生に意味がある。頑張ろうと思える。

 

いつも、本当にありがとうございます。

 

って直接目を見て伝えるので、もし気向いたら物販に話しかけに来てください。

多分僕、話しやすいと思います。

こういうこと、いつできなくなるか分からないのでね!できるうちにたくさんやりますよ!

 

嫌な世の中ですよね。悩みは尽きませんよね。

ドラム、ぜひ観に来てください。

全身全霊込めて。世界をほんの少し、明るくします!

 

 

 

故郷

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小学5年生のとき、通学路で友達にガン無視されているのを母に見られた。

修学旅行、出発時、ふと車窓を見ると、見送りにきていた母が泣いているのを見つけてしまった。

周りを見返すため全てを注ぎ込んだ中学受験は、普通に落ちた。

合格発表の翌日、教室で「お前落ちたんwwwwww」と爆笑された。

 

ドラムを始めるまでの僕の人生を一言で表すなら、無味乾燥。書き切れないほどのしょうもない小さな数々の不幸と、何も持たない自分への嫌悪と、嫌気が差すくらい極々平凡な毎日。

 

運動も、芸術も、何もかもまるで才がない。なら知能だと鉛筆を握ったものの、小学5年、6年を全ベットして挑んだ中学受験には笑えるくらい簡単に落ちた。同じ塾の好きな子は受かった。

ダサすぎる眼鏡をかけていて、ボサボサの髪の毛は常に鳥の巣のようだった。

 

こんなこと言っていいのか分からないが、劇的な不幸は一種その人のアイデンティティになる。それすら羨ましかった。取るに足らない石ころみたいな悲劇を浴びたって、誰も振り向いてくれやしない。もっと苦労している人がいるから。

それでも、一丁前に何者かになりたいという、拭えぬ欲望があった。それが更に自分の首を絞めた。

 

この世はあまりに世知辛い。

何を幸福とするか。何に幸福を感じるか。幸福の基準は人それぞれだが、それは決して自分では選べない。大方、先天的なものだから。

内在する幸福の基準と、自分に与えられたものが噛み合わないとき。

何も持たないくせに、何者かになりたいと願ってしまったとき。

人は、共感性の無い見えない十字架を背負って徘徊することになる。

 

もう今、我が身に大きな災いが降りかかってしまえ!とすら思うこともあった。先ほど書いたように、そうすれば特別になれるから。

 

でも幸運なことに、偶然か必然か、音楽を何も知らないくせに「先輩が可愛いから」という下劣極まりない理由で吹奏楽部の門戸を叩いたとき、僕の人生は一転した。

 

そして、闇雲に走り続けて今。

あの頃を思うと、今歩んでる道のりはあまりに奇跡そのもので。未だに、これは夢なんじゃないかとすら感じます。では何者かになれたのか、と聞かれると、それはまだ全然で、多分この先も到底満足なんてできないまま、もがき苦しみ、それを愉しんで、生きていくんだと思います。

 

かつての僕と同じような悩みを抱えている人、きっと少なくないんじゃないかって勝手に思っています。

そういう人が前に進むきっかけを作れたらいい。

ドラムには音階も言葉も無いですが、何かを伝えるには十分です。

 

これ再三言ってるんですけど、音楽って本当に人一人の人生を劇的に変えちゃうくらいのパワーを持ってると思うんですよ。僕がそうであったように。

ほんと、世知辛い世の中なのでね。

少しでも誰かの希望になれたらな。

今日雨凄かったですね

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夏休みが終わって、授業初日。大学の3階のやたら大きな窓から、他人事のようにぼんやりと止む気配のない雨を眺めている。

傘は持っていない。この後仕事だから、そろそろ出発しなければならないのだが。生憎、この大雨に生身で打たれる勇気も持ち合わせていない。

傘を持たず構内を走り抜ける白tシャツ一枚の男が目に入る。なんて潔いのだろうか。対して俺といえば、レンズをはずした伊達メガネに、カラフルな帽子。そのくせ、あろうことか留年が決定している。

彼はきっと順調に卒業への道を歩んでいることだろう。なんとなく、そう思った。

俺は弱い。

そう思うことが、最近増えた。弱い、というと

いささか曖昧か。

普通のことが普通にできなかったり、やたらと人に気を遣うくせに肝心なところで気を遣えなかったり。一丁前に孤独を恐れたり。そういう弱さ。

あるいは、選択を誤ったり、取り返しのつかない失敗をしたり、大切なものや、人からの信頼を失ったり。その度に、煮えたぎるような後悔の念に苛まれて。

そういうことを繰り返してしまう弱さ。

後悔は一回だから、意味があるのに。

人間としての核の部分に、問題がある!

真人間に、なりたい。

 

ここまで赤裸々に書き殴って気付く。これをポジティブな方向に帰着させるの難しすぎるな。

 

とりあえず、それらは自分のこれから治すべき欠点、取り組むべき課題として、決して正当化せずに心に留めておくとして。

 

そもそも、この世に自分の嫌いな部分が一切無い人間なんているのだろうか。いたとしても、かなりのレアケースだ。

自己嫌悪を正当化するつもりは毛頭ないが、人間らしいといえば人間らしい。

自己嫌悪は、人間の永遠のテーマだ!

 

そしてその自己嫌悪との闘いこそ即ち人が生きるということなんですかね。日々勝ったり、負けたり、ですね。

 

でも、その闘いにおいて、自分には誇らしい最強の武器がある。楽器と、それを少しでも評価してくれる皆様。いつも本当に、ありがとうございます。

 

まだ未熟ながら、紆余曲折経て、少しずつ築いてきたもの。

嫌悪、焦燥、卑下、落胆、懺悔、常時大雨みたいな世知辛い世の中から我が身を守ってくれる、傘。

 

でもきっと、それはそんな丈夫なものじゃない。

自分の過ちかもしれない、または逆らいようのない不条理、不可抗力かもしれない、様々な要因で、ある日いとも容易く吹き飛んだりするんだ。

大切に、大切に握りしめないと。

ふと自分の手の平に目をやる。相変わらず、生命線が異常に短い。ていうか、そもそも手が小さすぎる。なんだこれ。おもちゃ?

長生きはしたいと思わない。いや、ちょっとカッコつけた。できることならしたい。でもそれより、生きている限り、少しでも誰かの生きる意味でありたい。こんな人間だけど、この仕事のこと、心底誇りに思うんです。

そしていつか、中身丸ごと自分を誇れる人間になりたい!今はまだ全然ダメだ、頑張ろう。

 

雨に打たれて、歩いてみた。わざとらしく、ゆっくり。

おかしな爽快さがあった。