はだノート

自己満です

「孤独」の対義語とは?

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孤独の対義語ってなんだ?

 

ふと、頭にこの疑問が浮かんできた。

そういえば、なんだろう?

こういう問題、考え始めたら止まらないですよね。

よしこういうときはGoogleの出番だと。Google先生に分からないことはない!

がしかし...調べても、全然出てこない。

そう、「孤独」の対義語の正式な定義は、どうやら存在しないようだ!

こんなにネガティブでマイナスな言葉に、対義語が存在しないとは!?ありそうな感じするのに!!?

 

とりあえず、「孤独」の正式な意味を辞書で調べてみる。

 

1 仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。


2 みなしごと、年老いて子のない独り者。

 

なるほど。想像通りの内容。

 

要するに、人が一人でいる状態のこと。

つまり、単純に考えたら「大勢」「多勢」「群集」とかだろうか。

しかし、全く納得がいかない。

孤独という言葉は、寂しさとか虚無感とか、感情的な情報を孕んでいる。大勢とか多勢とか、人の数量を物理的に表す言葉とは全然違うレールの上にいる気がするのだ。

 

とすると、詰将棋的に考えて、「孤独」の対義語は「数人、またはたくさんの人と一緒にいることを表す」「賑やかさや充足感を孕んでいる」この2つの条件を満たす言葉となる。

 

なんだろう...。

「連帯」「協力」「絆」...?

どれもしっくりこない...。

 

うーん...。全く思い付かず。

 

いや、そもそも、根本的な発想が間違っているのかもしれない。

 

「『孤独』とは、人間が一人でいることであり、そして『人間が一人でいる』ことは、寂しさと虚無感を伴う状態である。」

...この捉え方が、もうすでにステレオタイプであると。そう考えるから、孤独というマイナスでネガティブな言葉に対義語が「ないわけがない」と考えてしまうのであろう。

孤独を単に悪いものだと捉えてしまうから、その逆にある「良い」バージョンのもの、つまり反対語を探そうとしてしまう。

 

「喜び」や「悲しみ」、「幸福」や「不幸」、「慈しみ」や「憎しみ」、「希望」や「絶望」。

「孤独」はこういった「良い」「悪い」の次元にいる言葉とは、また別種の言葉なのでは。

「孤独」という概念は、プラスマイナスの世界を逸脱した、多面的なものなのかも。

単なるネガティブな言葉ではないのかも。

唯一無二の場所にいる言葉なのかも。

(孤独という言葉は、孤独なのか。おもしろい。)

 

ここで、一つの根本的な疑問が生まれる。

 

ではそもそも、「孤独」とは一体なんだろうか。

 

「喜び」の対義語は「悲しみ」これは自明の事実だ。

喜びはプラスの意味の言葉であり、悲しみはマイナスの意味の言葉である。

人間生きてれば、喜ばしい日もあれば悲しい日もある。極論、今日は嬉しいことしかなかった!って日もあれば、今日は悲しいことしかなかった...って日もある。

嬉しいことがなくても、悲しいことは悲しい。悲しいことがなくても、嬉しいことは嬉しい。

喜びと悲しみは、「プラスマイナス」の世界の概念。そして両者は対をなす全くの別物。至って単純。

 

ところが、「孤独」はそういうものじゃない。

もし仮に、孤独を一切感じない人間がいたとして。

その人は、人といることで生まれる幸福を、幸福だと感じ取れるだろうか。

人を愛したり、人に愛されたり。みんなで何かをしたり、笑い合ったり。それを幸せだと、特別だと感じることができるのは、「そうじゃない状態」つまり「孤独」を経験したことがあるからではないか。

孤独を知らない者に、「孤独ではない状態」の幸せが、どう解り得ようか。

 

人といることで生まれる充足感、幸福感。それらを満ち足りてる!幸せだ!と感じれるのは、我々の中に孤独が在るからだと思う。

 

そう考えると、やはり孤独を単なる「マイナス」なものとして扱うのは少々無粋な気がしてしまう。

 

孤独とは、幸せを感じ取るアンテナなのだと思う。

たいせつな心の一部なのである。

良いとか悪いとか、そういう物差しで測れるものではない。

 

そういうわけで、対義語がない。

と考えたら、自然なのでは!?

どうだろう!?

 

我々は、しばしば孤独を忌避する。孤独は、怖い。

でも、もしかして孤独って、そんなに悪いことじゃないんじゃ?

いや、悪いことじゃないというか、そういう良し悪しの次元の概念じゃないんじゃ?

だって、対義語が存在しないから。

100%悪いことだったら、対義語が存在するはずでしょ!(これは暴論かもしれない)

 

我々は、孤独からは逃れられないのである。

心に備わっているから。でも、そもそも逃げる必要なんてない。

そいつがいるから、我々は人といることに幸せを見出せるのだ。有難い、と思えるのだ。

孤独だから、我々は人なのである。誰かとつながるのである。

だから、孤独に怯える必要はない。むしろ、嗜んでやりませんか。

きっと、サウナの水風呂みたいなもんですよ。あれがないと、整わないでしょ。

 

なんだか現代には、孤独を完全な「悪」とする風潮が漂っている気がする。

そんな世の中だから、孤独に押しつぶされそうだ、という人、きっと多いと思う。とても分かる。

でもそれ、無理に持とうとしないで、そっと隣に置いてみたらどうだろう。

そんなに悪いものじゃないかも。

 

ちなみに...あえて孤独の対義語を強引に定義するなら。

自分は「情愛」とする。

これは、自分が考える「孤独ではない状態」を最も的確に表す言葉。

(ここであえて「愛情」としないのは、それが人以外に対しても使う言葉であるため)

孤独も、情愛も、我々人類だけに備わる心。

ただこれらは、単なる対義的な関係ではない。

情愛と孤独は、共依存の関係にある。

孤独を知り得ぬ者に、情愛は知り得ない。

逆もまた然り。

 

余談ですが、孤独の対義語って何だと思う?って友達に訊いたら、「チーム友達」って返ってきました。

本当にそうかもしれない。

だって、「契り」だもんな。

孤独の対義語は、チーム友達です。

ありがとうございました。

 

P.S

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5月24日、自主企画やります。

タイトルは『はだまNight』

頭悪い名前。

この日、僕はドラマーとして20分間、「一人」でステージに立ちます。

孤独を嗜みます。

バンドもいいけど、一人もいいZE...ってこと分からせたいのでぜひ来てください。