ドラムと文章はよく似ていると思う。
両者とも、明確にルールが存在する。文法。
ただ闇雲にやれば良いってもんじゃない。文法に基づいてないものはすべからく破綻する。感情を乗せるには確かな皿が必要だ。
だがしかし、「文法を守ること」が目的になると、それは途端に芸術性を失う。
本物は、芸術表現を達成するついでに、何食わぬ顔でさらっと文法をクリアしている。あくまでサブミッションとして。呼吸するかのように、自然に。
これができる人間を、人は天才と呼ぶ。
俺はありがたいことに今、人前でドラムを叩ける機会を頂けている。しかもほぼ毎ライブ、ソロを叩かせていただいている。
あの1分間をもっと魅力的なものにするには、どうすればいいのか。常日頃から考えている。
気持ちだけ先行すれば、容易に破綻する。しかしルールを遵守するだけでは、誰にも何も伝わらない。
難しい。本当に難しい!!
文章を書いている今も同じように、その難しさをひしひしと痛感している。「ルールの支配力が強い芸術」は難易度が高い。
しかし、先日の埼玉ワンマン公演後。「ドラムソロで泣いたの初めて」といった旨のツイートを見つけた。
そう、これがやりたかった。
と同時に、改めて意を決した。
これをやり続けるんだ。
自分はまだ未熟者だ。しかし明確に、会場にいた一人に、自分の表現が届いたのだ。
何度でも言う。ドラムは意思伝達。
この楽器、しばしば芸術性を排除することが美徳だとされるが、そんな面白くない風潮全てぶち壊したい。
自分のドラム、及びあの1分間を、どこまで鋭く磨けるか。人生の命題。
天才にはなれずとも、いつか天才と呼ばれる人間になりたい。頑張ります。