はだノート

自己満です

故郷

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小学5年生のとき、通学路で友達にガン無視されているのを母に見られた。

修学旅行、出発時、ふと車窓を見ると、見送りにきていた母が泣いているのを見つけてしまった。

周りを見返すため全てを注ぎ込んだ中学受験は、普通に落ちた。

合格発表の翌日、教室で「お前落ちたんwwwwww」と爆笑された。

 

ドラムを始めるまでの僕の人生を一言で表すなら、無味乾燥。書き切れないほどのしょうもない小さな数々の不幸と、何も持たない自分への嫌悪と、嫌気が差すくらい極々平凡な毎日。

 

運動も、芸術も、何もかもまるで才がない。なら知能だと鉛筆を握ったものの、小学5年、6年を全ベットして挑んだ中学受験には笑えるくらい簡単に落ちた。同じ塾の好きな子は受かった。

ダサすぎる眼鏡をかけていて、ボサボサの髪の毛は常に鳥の巣のようだった。

 

こんなこと言っていいのか分からないが、劇的な不幸は一種その人のアイデンティティになる。それすら羨ましかった。取るに足らない石ころみたいな悲劇を浴びたって、誰も振り向いてくれやしない。もっと苦労している人がいるから。

それでも、一丁前に何者かになりたいという、拭えぬ欲望があった。それが更に自分の首を絞めた。

 

この世はあまりに世知辛い。

何を幸福とするか。何に幸福を感じるか。幸福の基準は人それぞれだが、それは決して自分では選べない。大方、先天的なものだから。

内在する幸福の基準と、自分に与えられたものが噛み合わないとき。

何も持たないくせに、何者かになりたいと願ってしまったとき。

人は、共感性の無い見えない十字架を背負って徘徊することになる。

 

もう今、我が身に大きな災いが降りかかってしまえ!とすら思うこともあった。先ほど書いたように、そうすれば特別になれるから。

 

でも幸運なことに、偶然か必然か、音楽を何も知らないくせに「先輩が可愛いから」という下劣極まりない理由で吹奏楽部の門戸を叩いたとき、僕の人生は一転した。

 

そして、闇雲に走り続けて今。

あの頃を思うと、今歩んでる道のりはあまりに奇跡そのもので。未だに、これは夢なんじゃないかとすら感じます。では何者かになれたのか、と聞かれると、それはまだ全然で、多分この先も到底満足なんてできないまま、もがき苦しみ、それを愉しんで、生きていくんだと思います。

 

かつての僕と同じような悩みを抱えている人、きっと少なくないんじゃないかって勝手に思っています。

そういう人が前に進むきっかけを作れたらいい。

ドラムには音階も言葉も無いですが、何かを伝えるには十分です。

 

これ再三言ってるんですけど、音楽って本当に人一人の人生を劇的に変えちゃうくらいのパワーを持ってると思うんですよ。僕がそうであったように。

ほんと、世知辛い世の中なのでね。

少しでも誰かの希望になれたらな。